わたしは何者であるかというヴィジョン
森田真生さんのゼミに参加。
森田さんは独立研究者を名乗る数学者。
著作も何冊か出されてる。
大学などに所属せず、研究活動を行う傍ら、
全国各地で「数学の演奏会」や「大人のための数学講座」といったイベントを行っている。
著作を何冊か読んだり、ネットの記事も読んだりしていて
いつか森田さんのゼミに参加できたらいいなと思っていた。
集まった受講生は30人くらいだったでしょうか。
森田さんは30代で、お子さんもある。
若々しい装いもあってか学生さんのようにも見えた。
ここに書くのは森田さんがゼミで話されたことを正確にあらわすことはできないので、それよりも私自身が受けた印象や思ったことが中心になる。
「統合的に、私たちは何者なのかのヴィジョンを描く」
私のメモにはまず最初にそれがあって、一番最初に話されたことばなのだろうと思う。
私は何者であるのか。
それは「人間とはなにか」ということ。
そのヴィジョンとはなにか。
そして統合的にそれを見て描いていくという。
どんなに科学が発展しても、わからないのは「私たちは何者か」ということ。
それを誰も発見できないでいる。
ゼミは途中休憩を挟んで3時間。
一遍して語られたのは、「人間である私を人間でないものとのかかわりを通してみていく」ことであり、
また、その果ての「人間中心主義が行き詰っている」という現代の問題かと思った。
人間は人間でないものに侵されて生かされているという。
太陽の光の粒子が私たちのからだを貫いているということ、
最近よく言われるようになった、人間の腸には人間の細胞の数を越えるバクテリアが存在していて、
それによって私たちのからだの健康が保たれているということ。
さまざまな「人間でないもの」と関わりながらこの命が生かされている。
森田さんは、からだを通して考えることに興味を持っておられて、
からだを使った新しい学問を作りたいと考えられていただけど、
次第に社会におけるからだとは組織だと考えるようになったという。
個人レベルではなく、組織レベルで、そして組織としての身体性について興味を持つようになったという。
人間でないものに生かされている人間はその歴史をさかのぼってみていく中で、
どんどん人間中心主義に向かっていくことがわかる。
その起源は約1万年前、人類が農耕を始めたころにまでさかのぼるのだと。
それは地球の気候が安定し始めた時期で、人間が農耕を始め、
そのころからの人間活動が、詳しく調べるとその農耕から余剰が生まれ、
余剰をどうするかと考える中で経済活動が始まったのですね。
経済。
経済活動という人間活動が生まれたところから、
環境の変容に影響を与え始めてるのだともいえます。
森田さんは、イギリスの産業革命で活躍したジェームズ ワットの
1784年の蒸気機関の設計を完成させたこのときからとも言われます。
ワットは電気の単位にもなっている。
農業の始まりにより経済活動が生まれ、土地の所有などの動きが起こり、
その中で富むものと貧しいもの、支配するものと支配されるものとの関係性もできていく。
所有。
もともとこの地球は、土地は誰のものでもないはずなのに。
土地には微生物から始まり、さまざまな動物、植物が生きている。
今私のいるその場の下ではどんなことが起こっているのか。
街のいたるところがアスファルトで固められたその下で生き物たちはどうしているのかなんて考えたこともない。
同じように私たちのからだも20億年前に発生したバクテリアが
私のからだのエネルギーを作り続けてくれているということも知りもしなかった。
下や中という目には見えないところでの生命活動に私たちの命が生かされているという事実。
3時間のお話はほんとに面白くて、ときに森田さんが幼いお子さんとのやりとりに
ついても話されたりすることがまた微笑ましくて。
書きたいことはもっともっとあるのだけれど、また次の記事で。
たくさんの書物を読まれ(しかも原書から)、
その内なる世界をどんどん更新していく研究者。
どこにも所属を置かないで自分自身だけで、人々に向けて発信されている。
これからはそんなふうにしがらみを持たず、自分の意見を外に向けて
発信していけるツールもたくさんある。
森田さん自身はネットなどにはあまり頼っていないようで、
書物やこういった各地でのお話し会を開くことで発信されている。
現代は見ることはないだろうけど、街角の辻舌鋒のようだ。
いつも「ご縁がありましたらいらしてください」とご案内の記事などに
ことばを書かれている。
街角で通りすがりに聞いたお話、だけどそれにハッとさせられ、
そうだったのかと知ることの面白さ。
なにかを知るということはその人を大きく変える。
ハッとすること、なるほどと思うこと。
それはまた、自分以外の世界と出会い続けることでもある。
私は私以外を通して私を創っていくともいえる。