デジタルファシズム 行き過ぎたデジタル化の行きつく未来
社会のデジタル化はほんとうに私たちにとって幸せなことなのか。
すべてが管理された社会、映画か小説の話のように思うことが
世界でも日本でも着々と進められている。
特にコロナのパンデミックによってこの動きは加速化している。
知らなかったではとんでもない後悔をすることになるのかもしれない。
たとえば、教育のデジタル化。
教科書はもういらない、pc端末がひとり一台あればいい。
先生もどんどん必要なくなる。
学校に通う必要もなくなる。
すべてはデジタルが教えてくれる、デジタルの専門家で教育者が少しいればいい。
そして、どんどん自分の頭で考えない人間を作り出していく。
「デジタルはあくまでも補助、主体は紙という基本を変えるべきではありません。
結果が出ないから頭で考え、工夫して、忘れないように付箋をつける。
手間のかかるそのプロセスこそが脳にとって大切な学びだからです」と。
私たちは自分の脳を育てなければいけないのだ。
文部科学省が公式ウェブサイトに公開している、
人間の身体の一部をコンピューターに置き換えて究極の効率化を図る
「ムーンショット目標」はほんとうに私たちが望む未来なのだろうか。
でも日本と世界とこの人類がデジタル化で管理される社会づくりは
着々と進められているのです。
すべてデジタル化が悪いといってるわけではなく
その弊害もかんがえなければいけないということ
そして人間が人間であるために大事なことが失われないこと
守らなければならないことを忘れてはいけないのです。
そしてデジタル化のそもそもにはなにが根本の目的としてあるのかも含めて
警戒もしなければならないのではないでしょうか。