プルーフオブヘブン 彼方と此方、宇宙は今ここにあるということ
あなたは死後の世界を信じますか?
というと、なんだか怪しいなにかのお誘いみたいに警戒してしまうけれど、でも考えたらこれほどわからないことはなく、またこれほど知りたいと欲することもなく、またこれほど科学が否定するものもない。
科学者という人ほど、死後の魂の存在やその世界を否定する。
その第一線の脳神経外科医という方もその通りの方だった。
その人が体験した魂の存在を確信した体験手記。
プルーフ・オブ・ヘヴン―― 脳神経外科医が見た死後の世界 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者:エベン アレグザンダー
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2018/01/10
- メディア: 文庫
私の友人は20歳のときに母親を病気で亡くした。
仲良しの母娘だっただけになおさら心痛んだ。
その友人が何年か経ってから青森の恐山に行ったと聞いた。
たったひとりでそんなところへと、聞かされた私はとても彼女をかわいそうに思ったものだった。
それほど思い詰めていたのかと。
話を聞いてみると、イタコの女性はこちらのことは何も知らないはずなのに
家族構成やらさまざまなプライベートなことを言い当てていた。
しかも友人は握ったイタコの手に母を感じたと語る。
そして、びっくりしたのは、「おかあさん、今なにをしているの?」と尋ねると
イタコを通じて亡くなった母は
「こちらで勉強することがたくさんあって忙しいの」と答えたのだと。
勉強する?
忙しい?
あの世で?
私はわけがわからなくなってそのとき彼女になんと言ったのか覚えていない。
こちらの著作を読んでも驚くことがたくさんある。
大概、臨死体験などというと、「脳の幻覚作用で見たもの」とか意識を取り戻してからの思い込みであるとか言われがちなもの。
だけど、いくら脳科学が進歩してきたとはいえ、まだまだわからないことばかり。
そこに持ってきてこういった神秘体験、それにどう対処したらわからないのも科学者といえどもお手上げなのでしょう。
さらに、なにをバカなことをと言いたい気持ちもわかる。
臨死体験と言えば、
死後、懐かしい人たちに再会し、自分をあちらの世界に導いてくれるのは大概先に逝った親族というのもよく聞く話。
でもアレグザンダー博士のは一つ違う。
自分を導いてくれたのは見知らぬ美しい女性、女神のようだったと。
その理由は最後にあっという展開で知らされる。
面白かったのは、あちらの世界でまさに「私は科学するを体験していた」というのです。
それは、意識が体験したこと。
からだを持たない「意識が経験する」という表現にも驚かされる。
「私が行ったその場所では、見ることは知ることに直結していた。体験することと理解することの間には区別がなかった」
後半がとても感動的になっていく。
あらゆる世界観を巻き込んでどんどん広大無辺になっていく。
死後の世界と信仰と、そして科学。
特に物理学。
量子力学という奇妙な物理学と私たちの魂の存在は切り離しては考えられないと。
「この宇宙を深く理解するためには、意識を現実を描き出す役を演じていることをまず認める必要がある。量子力学の実験に示された結果、その分野の一線の研究者を唖然とさせるものだった。そして彼らの多く(ハイゼンベルグ、パウリ、ボーア、シュレディンガー、ジーンズ卿他多数)は、神秘的世界観に答えを求める方向に視点を転じた。観測者と観測対象とは切り離せない関係にあることがわかったからである。
私があちら側の世界で気づかされたのは、この宇宙の言葉に尽くせない広大無辺さと複雑さだった。そこでは存在するものすべての根本が意識であることも知った。」
「意識を用いない限り、宇宙という実在の核心には迫ることができない」
その宇宙は何億光年先にあるものではなく、今まさに自分がいる今ここにあるとも。
話はどんどん複雑さを帯びていくけれど、反面、とても想像しやすくなっていっていく気もする。
想像しやすくなるというのは、人によってはその体験をどこかでしているからと考えるからだ。
魂の存在を肯定するか否定するかによっても変わってくると思う。
わからないことだらけだ。
だけど、みんないずれ死ぬから必ずわかることでもある。
だけど、今ここで知りたいことも増えていきたいと思う。
知りたい。それだけだ。
あのとき、
私は友人の亡くなった母親が言ったという、「こちらでは勉強することがたくさんあって」ということばに、それがほんとなら少し死んでからの楽しみを感じたりしたものだ。
それは言えなかったけれど。
この著作を読んで思い出したのはこれらの映画。
ずいぶん前に観たのだけれど、またぜひ観たいと思う。