考えることが人生すべてだという
ある日突然の出会いでそれまでとは大きく自分の人生が変わるってことがある。
それは人物だったり、本だったり、映画だったり、できごとだったり。
今まで何度も何度もそれを繰り返し、昔の自分とは違う、昨日の自分とも違う、
あなたの知ってる私とは違うを感じていく。
本との出会いは大きい。
ほんとに自分を大きく変える。
最近はつい数か月前までは思いもしなかったこと、「哲学」なんてのに心掴まれている。
「人生、考えることがすべて。それ以外にやることなんてない」と
哲学者(ご本人はそう呼ばれることが好きではなかったようですが)池田晶子さんは言う。
人間はインナースピーチが90何パーセントだと聞いたことがある。
たとえば、雑念を振り払って頭の中を空にする、つまり、何も考えないようにするってことは実はとても難しい。
私はときどき、「他の人もこんなに四六時中頭の中で語っているのだろうか」と思うことがあるのだけど、他の人の頭の中はわからない。
独り言というより、頭の中でなにかに、だれかに語っているかのような。
それは、人間がことばを持ってしまったからなんだろうか。
ことばを持ったから考えるようになったのかな。
池田晶子氏の「14歳からの哲学」を読む。
哲学について、中学生年代の人たちに向けてわかりやすく、やさしく語りかけている。
この人の他の著作を読んだらわかるけれど、けっこう辛辣、はっきりものを言っている。
そしてどこまでも、それで?それは?どういうこと?って質問で食い下がるそんなイメージ。
それがこの本ではやさしいお姉さんって感じ。
もちろんおとなも読んだら良い。
人間とはなんだろう。
生まれてきたとはなんだろう。
生きるとは死ぬとはなんだろう。
思春期のころにはよく考えたけれど、いつから考えなくなってきたのかな。
「他人の痛みはわからない、他人の心もわからないのはそれは小さいほうの自分からしか見ていないからだ」
小さい自分とはなにか?では大きい自分とはなにか。
大きい自分は「森羅万象すべて、深いところの自分はすべてであり、すべての事象とつながっている」
小さい自分は「それぞれが別々の人間」
だけど、小さい人間が他人の痛みや悲しみを理解できるとき、深いところでの大きい自分がその他人とつながってることを自覚することだと。
なんて、なんて大きなものに出くわしてしまったのかと思い、哲学とはなんぞや?に耽る頭の日々。
寝てるとき以外は働いてたって何してたって考えることはできるしね。
寝てるときも考えてるのかな?