命がけの証言 ~見て見ぬふりをする人たちへ~
作者の清水ともみさんは、2007年にテレビで放映された旅番組「中国鉄道大紀行」を観た。
カシュガルの一面の綿畑で農家の人が、なぜか暗い表情で綿を摘んでいたのが印象に残り、それから10年たってウィグルの現状を知り、あの暗さの意味がわかったという。
そしてあのシーンをもう一度見たいと動画を探したが見つけることができずにいたところ偶然再放送していたのを見たという。
そしてこれは「神様が私に描けと言ったに違いないと」思い、仕事であった漫画を通してこの問題を世に問うことをしたといいます。
本が話題になり、最初は顔も出して話をしていたけれど、深夜にインターホンを鳴らされるなど嫌がらせが起き、家族に迷惑がかかると顔を出すの今はされていません。
恐怖と不安があると思います。
私でさえ、SNSにウィグル関係の記事をあげたところで激しい反対意見のコメントが知人の中国人から寄せられました。
この記事は嘘だ!となぜ言えるのだろう、自身で調べることさえせず嘘だと言い切る気持ちがわからない。
そうせざるを得ないのかとまで思ってしまう。
そんな激しい反対や嫌がらせなどは作者にはたくさんあることと思います。
だけどそれを乗り越えてまで伝えようとされることに頭が下がります。
現に、命を踏みにじられ、苦しみと悲しみと恐怖に日々過ごしている人たちがいます。
知ったからには知らないふりはできない。
そして、真に友情を作りたい隣の国のことだからこそ、「良いことは良い、悪いことは悪い」と言える、ほんとに友だちだからこそ「ダメなものはダメ」と言える人間でありたいと思うのです。
恒常性バイアスということばがあります。
異常事態に直面していながら「自分は大丈夫だろう」「たいしたことにはならない」「きっと安全だろう」などと正常の範囲内であると考え、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したり、そこに向き合うことから逃げるといった人の特性のことをいうそうです。
これはとても多い現象だと思います。
たとえば、SNSなどで社会問題や政治の話をあげるといいね!の数はぐんと減ります。
食べ物の写真やなんでもない日常の些細な話題にはたくさんいいね!がつくのに。
人間はいつも「私には関係ない」という気持ちでいたいのでしょうか。
わずらわしいことは避けたいのでしょうか。
大丈夫、未来は今より良くなっていく、みんなが幸せになれる。
そう思いたい気持ちはわかるし、そうなるべきだと思うけれど、今現在起こっている問題に目を閉じたままでその道を作っていけるとはとても思えない。
在日ウィグルの人たちは今の日本を憂えています。
なぜならこんなことが起こるまえのウィグルに今の日本はとても似ているからだと。
「私たちは大丈夫」となぜ言えるのでしょうか。
今一度、自分の目で耳で心と頭でさまざまな情報を得たものを精査して、そしてこれが真実だと思ったなら行動するべきなのではないのかと思います。