箱のなかの世界
私の住む町は山を切り開いて作ったいわゆるニュータウンという街です。
時間が経つのは早くてあっというまに街ができてもう20年くらいにはなるのではないかと思います。
家やショッピングセンターやお店もどんどんできて、移り住んだときには
ほんとに不便だったのがうそのように便利になったし、大きなマンションも増えて
人も町全体でマンモス規模で増えているのではないかと思います。
ただ、よく思うのですが、人が歩いていない。
公園でこどもが遊んでいない。
老人が外でボーっと座ってたりしない。
駅前は人も多いけれど、少し離れると住宅街なのにほんとに人が歩いていない。
四角い箱のような家が立ち並んで、一個一個はよく見ると綺麗ですが、
でも町全体を見回すと、同じ形の箱が並んでいる、そういう感じです。
こどもたちはどこにいるんだろう、人々はどこに行ったんだろう。
ついそう思ってしまいます。
休みには大きな公園で遊んでいる親子もいますが、他の街から来てる人たちだったりします。
公園で親子で遊ぶのは特別行事みたいな気がします。
特にこどもの姿がなかなか見れないのがなんだか。
家の中でゲームやスマホで動画を見てるのかもしれない。
お休みの日に小学校にこどもたちが集まってくるときもありますが、それはサッカーとか野球の試合や練習だったりする。
私がこどものころは、遊び相手がほしくて近所の友だちの家に「○○ちゃーん、あそぼ!」って大きな声で呼びに行ったり、公園に行けばだれかいて一緒に遊んだりしてたもの。
それでなくても、ぼーっと一人で過ごすことも多かったような。
サッカーや野球もいいけれど、それって大人が指導してスポーツのルールがあって、そしてその中でこどもたちは「指導」されるもの。
こどもには、ボーっと過ごす自由な時間があるのはいいのではないのかって思うのだけど。
常に、おとなに管理されてる社会を生きている。
ボーっとして足元のアリをずっと見ていたり、友だちと新しい遊びを生み出したり。
そんなことはなくなったとはいわないけれど、昔に比べたらずっと少なくなってるのでは。
いろんな意味で管理社会。
ボーっとひとりで歩いているのも犯罪に巻き込まれる心配もしないといけないからというのも、悲しい社会になったものだと思う。
そして、家ではスマホやゲームという機械が相手。
小さな箱が良くも悪しくも世界を見せる。
想像だか現実だかわからなくさせてしまったりする。
でもって、子育て世代のための街というのもなんだか胡散臭い。
そうやって巨大マンションが増えていく。
偏っているのです、人間の住むことさえも。
お年寄りとか、いろんな世代がいて街ができているほうがなんだか人が人として暮らしやすいのではないのかと思うのですが。
箱の並ぶ街から見えるのはどこか偏った無機質な風景。
箱からはなかなか人の姿が見えない。
そういう私も箱の中の世界で生きているけれど。