言葉を使う動物たち ことばは人間だけのもの?
動物と話せたら楽しいかな。
私はすごく話したいと思うのは、我が家のワンコ。
特に、ワンコが病気の時。
どこが痛いの?どんなふうにしんどいの?って言ってほしいと何度思ったか。
ことばの定義とはなに?
意志の伝達手段、コミュニケーションの手段。
実質は音を用いた記号体系などなど調べたら出てくる。
そして、人間以外のある種の動物の「言語」をうんぬんすることも可能ではあるが、その表現能力と、内部構造の複雑さおよびそれとうらはらの高度な体系性などの点で、人間の言語は動物のそれに対して質的な違いを有している(世界大百科事典より)
つまり、ことばとは人間だけが使うものだということ。
ことばとは人間だけが持つ能力とも考えられる。
私もずっとそう思ってきた。
でもこの本を読んで、「ことばとはなに?」という根本的なところをひっくり返された気になった。
著者はエヴァ・メイヤー 哲学者で作家でそしてシンガーソングライターだという。
動物はことばを話せないと結論付けることは、「ことばというものがそもそも人間側にあって、その人間の話すことばを動物は話せない」ということでもある。
動物のもつ能力は常に本能的なものであって、未来や過去を語ったりしないからだとも。
人間のように。
本書のなかに、「韓国で生まれ育ち、人間の中で生きてきた象が語る低周波の音を韓国人が聞いたら理解できる」というエピソードがある。
象は低周波音で仲間同士会話をするそうだ。
でもこの韓国で育った象は仲間がいない、動物園で唯一の象だったから。
周りにいるのは人間、韓国の人たち。
「科学者はこの象が人間と親密な絆を結ぶために人々が話すのをまねし始めたのだと考えている。」
これって、まるで私たち人間が生まれて赤ちゃんのときに、周りのお母さんや家族の話すことばを話せるようになっていくのと同じ!
私の中で「いったい、そもそもことばってなに?」って疑問が沸き起こる。
また野生のオオカミが人とかかわるようになり、そして一緒に生きる犬となったとき、犬は人間の振る舞いを見ながら、人間との絆を作るために人間を観察し、ともに生きる知恵を身に着けていく。
人間は犬を飼育し訓練しているように思うけれど、彼らにしてみればこっちから寄り添ってやっているんだってものではないのか。
猫が人間にニャアって鳴く話も面白い。
おとなの猫は猫同士互いに鳴くことはなく、人間に対して鳴くのは猫が人間との相互作用で習得したスキルだという。
また、森で保護されたゴリラの子に手話を教えたら、「自分の親は密猟者に殺された」と語ったという。
過去を語っている、自分に起こった悲しい出来事を伝えている。
そして、動物たちの死の概念。
ここはひっくり返るとほんとに私たちはなんと長いあいだ動物たちにひどいことをしてきたのかと心から謝罪したくなるだろう。
動物たちは死を知っている。
そして仲間を弔う動物たちまでいる。
この行動の意味を私たちはまだまだ理解できていないという。
だから彼らが死を理解していないなどと断じるのは時期尚早だということだと。
人間の側から見た動物ではなく、動物の側に人間ができるだけ近づいて理解しようとする試みがこれからもっと必要になってくるでしょう。
そうするといろんな概念がひっくり返ることになる。
社会の在り方も、政治も、環境問題も、食の問題も、そしてなによりもまず「いのち」とはなにかについても。
動物たちのことばについて考えていくと、どうしても「ことば=生命」とつながるのだ。
このさき、
いろんなことがベールを剥がされるようにわかっていくのでは。