ことばで世界が交わりあう 真ん中の子どもたちを読んで
作家には海外で暮らす経験を持つ人が多いとなにかの記事で読んだ。
たしかに私の好きな作家に限ってもそういう体験を持つ人は多い。
漱石はロンドンに留学してる最中に鬱になったとか。
ことばの問題、文化の違い、さまざまな違いを受け入れて生活するのはたとえ天才でも大変な苦労だったのでしょう。
それに、霧のロンドンともいわれる天候が彼の精神を病ませてしまったのかもしれない。
ことば。
アメリカ在住でインド人作家のジュンパ ラヒリは夫ともにイタリアで暮らし、
話せるようになったイタリア語で小説を書くことに挑戦もしている。
母語のベンガル語と英語のはざまで長く苦しんできたラヒリはイタリア語を通して
なにかしらあらたなことに挑戦したいものをみつけたのかもしれない。
また、ドイツ在住の作家多和田葉子氏はドイツ語の世界の中に作家の好奇心をくすぐる
ものを見つけてそれを小説やエッセイに書いている。
読む私たちも、ドイツ語の摩訶不思議?な世界を多和田氏のことばから楽しませてもらうのだ。
まあ、ドイツ側からすれば日本語も摩訶不思議な世界を持つのでしょう。
昔うちにホームステイしたドイツ人が、日本語が話せるようになる過程で
日本語って変!ってという驚きを発見していた。
ことばの持つ世界観は自分で見つけるからこそ面白い。
こうなんだよ~と人に教えてもらったものはなぜかあまり心に入ってこない。
でも、人が「感動」をもって伝えてくるその経験には心動かされる。
なんだろうこの違いは。
温又柔さん。
若い作家さんで最近知った。
台湾で生まれ、3歳から日本で育つ、両親は台湾人。
3歳までは台湾で、そのあとはずっと日本。
となるときっと一番話せることばは日本語かな。
台湾語と中国語と日本語。
そのはざまの中で右往左往する自分をモデルに小説を描く。
日本語の中に中国語、台湾語が混じるという文章で書かれている。
芥川賞候補になった際、その選考委員の中にこれが理解できなかったのかひどい評価をしている有名作家がいた。
Mさん、好きな作家だっただけに私もショック。
でも、まあきっと彼にはわからないのでしょう。
私は多言語の環境で生きてる。
なんていうと大げさだけど、その環境を人工的に作って、たとえば温さんのようにことばを自然に習得していくことをしてみたらどんなだろうという活動をしてる。
だから、日本語話しながら突然スペイン語が出てきたり、なんてことも別に違和感がない。
なので、温さんの日本語、台湾語、中国語がまざって表現されるってことには違和感がない。
でも、文字だとどうなのだろうという興味があった。
だから読んでみた。
中国語も台湾語も私のなかにすでにあるらしい音やフレーズがその文字に反応してくれるのですごくわかる。
わからないのもあるけれど、でも見当つけれればわかる。
こどもが母語で文字に出会って読めていく感動ってこんな感じかな。
芥川賞選考委員の江國香織さんは「主人公のお母さんが台湾語を話すのがカタカナになってるのって面白かった」と言われたそうだけど、ちょっとこのことばに江國さんっていい感覚持ってるって感心した。
親の話す中国語を話さなければならない、と思った主人公のミーミーは上海に留学。
ほんとに苦労して勉強する。
厳しい先生には理解してもらえず、一番できない生徒といわれる。
でも出会った留学仲間に、
「どうして親のことばだからといってあなたが話さないといけないと思うの?」といわれる。
別に話せなくたっていいのではないの?って。
そしてさまざまな「どうして」がミーミーの前に現れてくる。
いつのまにか自分自身で作っていた「ねばならない」に縛られて、それに一喜一憂して自分を苦しめてもいたことに気づく。
だけど、でも、私は中国語を話せるようになりたいとミーミーは思う。
それは~~だから。(これは読んでね)
実体験したものでなければわからないこともある。
だから理解できなかった選考委員の有名作家はこの小説を批判した。
だれにでもわかることではないと。
でも、体験した人が語ることばには体験した心が宿ってる。
勉強で教えてもらったものは、その心が宿るのにとても時間がかかるか素通りしてしまうのだろうけれど、体験者の心の宿った物語には私たちの想像力という心を動かす力が宿る。
だから、ほんとはわからないことなどひとつもないはずなのだ。
それは、本を読むっていうことすべてにいえることなのではないのか。
日本語、中国語、台湾語の世界。
同じアジアで歴史を共有する私たちのことば。
私もそこにいる一員。
ことばを通じて世界が交わりあうそんな未来が描けていくといい。