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温又柔さんは日本で育ち住んでいる台湾人の作家。
この方の著作を読むのは2冊目。
この著作はエッセイ。
自身の体験に基づいてそのとき思ったこと、今考えることがつづられている。
母語と母国語は違う。
温さんは日本に2歳から住んでいる、温さんの周りで話されている言語は日本語が主だ。
だから温さんは日本語を話す。
だけど、人に「台湾人です」と伝えると、「だったら中国語話せる?」とか「台湾語話せますか」と言われてしまう。
それが子どものころから。
温さんがこどものとき、久しぶりに会った母の日本人の友人と母が屈託なく話しているときのこと。
母は日本語が話せるようになるのに時間がかかったようだけれど、このときの母は友人とほんとに流ちょうに日本語で会話をしていて、温さんはうれしくなる。
友人が「又柔ちゃんは中国語話せないの?」と聞く。
あんまり話せないと答えると、「台湾人なのにもったいない」という。
日本に住む外国人の方たちには自分の国の母国語を子どもたちに残すために、家の中では日本語禁止!としていて、そのために母国語も上手に話す人たちがあるという。
温さんのご両親は台湾人、だけど、日本にいるから日本語を話せるようになるのが大事とそこまで厳しく母国語を残そうとはしていなかった。
明るく笑いながら「私、失敗しちゃったね」っていう温さんのおかあさんの話が切ない。
この著作の中には温さんが台湾に里帰りしたりしたときにたくさん中国語や台湾語が聞こえてきてうれしくなるって話がある。
「自分の子どものころに聞いた両親や親せきの話す台湾語、中国語を思い出してとても親近感を感じる」のだそうだ。
私は、多言語の活動をしてる。
家ではさまざまな言語が流れる。
そうすると起きてくることが温さんの言う「聞こえてきた音に風景が重なる」体験と同じことがある。
母語と母国語の違いは明白。
人は環境の中でことばを話せるようになっていく。
だからその環境が日本語なら母語は日本語でいい、中国なら中国語でいい。
もし国が変わればそれもなくなる。
ヨーロッパなんてそのいい例だ。
多言語の環境で暮らして話せるようになっていく私にとってはそのすべてが私の母語だ。
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