赤ちゃんはきっと思ってる、気づけよ、おとな!
考えるときにはことばを使います。
頭の中で思う時だって、ことばで自分と対話している。
赤ちゃんの頭の中はどうなのだろう。
まだおとなと同じ表現することばを持たない赤ちゃんには
頭の中で何が起こってるのでしょう。
まったく無?
それともなにか音みたいなもので対話してる?
赤ちゃんも考えている?
考えている、それはなんだかなさそうだ。
では、おなかすいたとか、不快だとか、うれしいとかの
本能とか感情だけ?
残念ながらおとなになるにしたがってどうだったか忘れていく。
だから誰もことばにできない。
ことばを持つにしたがって、ことばにできないことができていくみたい。
日々赤ちゃんのまわりにも動きがあるから、
つまりいつも人がいて世界があるから、
なにかしら感じることはあるはず。
感じることだけがすべてかも。
まわりの世界を感じて、繋がっていこうとする中で
赤ちゃんは「繋がるためのことばという物質」を生み出しているのかも。
話せるようになったねとか、使えるようになったねっていうのは
大間違いで、
一見あることばを獲得してるように思えるけれど、
実はあらたに生み出しているのではないのかなと思うのです。
おとなはできるようになったことをすごいね!って上から目線で言ってるけれど、
赤ちゃんの側にしてみれば、
「違うだろ、新しいもの生まれてるんだよ、もっとちゃんとみろよ!
気づけよおとな」ってもんなのでは。